2011年12月13日火曜日

学校の写真

11月と今月は、いくつか学校を回り、校長先生にインタビューしたり、ほかの隊員の活動を見たり、自分のカウンターパートの仕事を見たりしました。
アフリカの子供はほんとにかわいくて(顔と表情が)、しかもカメラを見ると間違いなくどどどどー!っと集まってくるので、面白い写真がすぐとれる。

特に、ヨボ(白人)をめったに見る機会がなさそうな学校に行くと大変で、カウンターパートに「お前は車の中に隠れてろ!」と言われるくらい、小学生のパワーはすごい。

①Aguegue編
こちらはAguégué(アゲゲ)という水上集落の町へ行ったとき。
うちから10分程歩いたところにある船着き場から、船で一時間ほど西に行ったところにあります。

教育省からのお達しで、女子小学生の数を調べるアンケートをするために行きました。
4校周り、同僚が校長にアンケートしている間、私は小学生と遊んでただけだけど。

チョコボール。

おませ顔。(写真左の男の子の顔が気になる)


通学や、ほかの校舎に移るときは、灯油のタンクで作ったボートで移動します。
カメラ出すのが遅れてちょっとだけ後姿が見える。

カメラ目線の女の子。上目使いとはこうするんだ。

徒歩でも移動。



こんなところに日本の援助で建てられたトイレがありました。



別の学校で。

よっ、やってるかい。


アチョー!!遠くから、

走ってきた!


昼休みに突入。


学校の裏庭で。リスかな。サルかな。




船着き場まで、お見送り。



アゲゲは、前に書いたダンボ同じ水上集落だけど、別の場所にあり印象も違う。
水に浸る時期が長いのだろうか。道(水上だけど)が広くて、脚がコンクリートのところが多い。一軒当たりが大きい気がする。






アフリカの太陽は大きい。そして強い。




②一人で巡回編
ウエメ・プラトーの視学官事務所とそれぞれ2校ほど小学校を周り、
話を聞いています。

今回は、地理的に近いところ、話を聞きやすいところなどの理由で、ミセレテ、アブランクー、サケテ、ダンボの4か所に行きました。
4日間の強行日程。

仕事の話は、また今度します。とりあえず今日のテーマは学校写真。

こちらはサケテの学校。
2008年に開校したこの学校は、
子供の急増に対応できてないため校舎建築に手が回らず、ヤシの葉の下で授業が行われています。



同じくサケテの学校。こちらはトタン。



こちらは、ダンボの学校。
日本が援助して建てられた学校。



写真ポーズ、命!高校生のときよくやったなー。


うーん、食べられそう。


どんな時にこの顔するんだろ、たまらん!って時かな。


一口に学校と言っても、こんなにいろいろ。
百聞は一見にしかず。
見に行って、話を聞くと考えること、感じることも多い。
もっと動かなきゃ。

報告書を書き中。苦手。
また報告します。

2011年12月12日月曜日

先輩隊員

ポルトノボにいる協力隊員は、私が来るまで男の子3人で、そこに私が入り、先月さらに女の子が2人来て、6人の大所帯。
でも先週、男の子の一人が任期を満了し、日本に帰るのでコトヌー(空港がある市)へ去っていきました。
2つ年下だけど、パワフルで行動力のある人だった。

彼がポルトノボで開いたバスケットボール大会。






さて、今日も頑張るか。

2011年12月5日月曜日

ハルマッタン

日本の四季に比べると、ベナンの季節は少し説明しにくい。

一年は大きく雨季と乾季に分かれるけど、
雨季の中に1週間から2週間、小乾季が混ざったり、

変わり目も温度が大幅に違うわけではなく、体感だし、
はっきり名前を付けづらい感じがある。


さて雨季が終わり、乾季が始まってちょっとずつ暑くなってきた今頃は、
(もちろん雨季も暑いのですが、さらに暑くなるということ)

ハルマッタンがやってきます。


【ハルマッタン→西アフリカで吹く貿易風。きわめて乾燥しており湿気を奪う。サハラ砂漠から舞い上がる大量の細かい砂塵を含んでおり、その砂塵は遠く北アメリカ大陸まで 届く。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%B3】

ハルマッタンが来ると、太陽がさえぎられて少しだけ涼しくなる。
朝、砂塵が霧のようになり、街の雰囲気もだいぶ変わります。

ベナンの人々は、長そでとかフリースとか着ます。
27度とかなんだけど、寒く感じるようだ。


朝のグドロン(日本でいえば国道みたいな道)


すごい霧。
これ、ベナン人に聞くとハルマッタンのせいだというけど、
ハルマッタンは砂塵で黄色いから、関係ないという人もいる。
本格シーズンは1月くらいかな。

このハルマッタンが終わると本格的に乾季、ベナンが1年で最も暑い時期になります。

はたして生き残れるか…

2011年12月3日土曜日

相棒を探せ!(3度目の正直)

日本でいえば11月は文化の秋ですが、ベナンでも行事続きです。この前のパラクーに続き、26日にわくわくフェスティバルがアボメカラビというところで開かれました。日本人のボランティアが、日本の文化紹介を目的に開いたこの行事。

小学生が100人くらい集まりました。

さて、今回も私には野望があり、前回空手の行事でナンパしたアボメカラビのベナン人と、空手をやりたいと考えていました。

お祭りの2週間前、わざわざアボメカラビに出向き、そのベナン人と待ち合わせ。
連絡がとぎれとぎれだし、あやしいなーと今回は思っていたけど、朝7時半の待ち合わせ時間に会えず、連絡も取れず…

そしたら、たまたま別のベナン人よりTelあり。その人はポルトノボに住んでいるE氏ですが、よく聞けば今アボメカラビに来ているとのこと。


チョ!(ベナン人は驚くときこういいます。)

アボメカラビ市役所の前の大通りで、なんともまあ、ばったり会うことができました。

聞けば、お祭りに来てくれるとのこと。事前に練習しようという約束もとりつけました。
そしてなんと同い年!(関係ないか)

2週間後。

事前練習は、E氏の仕事が忙しかったようで会えず、ドキドキの当日。約束の9時に現れません。やっぱりかー、と思った矢先。

遅れること1時間ですが、やってきてくれました。

本番前の打ち合わせ。演目は前回と同じく松濤館流の観空小。
空手は断然E氏の方がうまく、一緒に練習してないし別々にやった方がいいんじゃないと言われた。
結局文化交流が目的だから、一緒にやることに意味がある!と無理やり押し切り一緒にやったけど。。。

来るか来ないかわからないベナン人、という私の偏見の中、演目ももっとこうした方がいいとか、型はもっとこうした方がいいとか、アドバイスをくれた。

だって来てくれるかわからなかったから!とは言えず。
確かに呼ぶことに自分の意識が集中していて、演目も練習も全然練り足りてなかったな、と自分とちょっと反省。


ベナン人と言ってもいろんな人がいると知りつつ、何かあれば、ベナン人だからとひとくくりに考えている。
しょうがない部分が大きいけど、読めないなぁ!
彼は、もしやらせてくれる小学校があれば空手を教えたいと言っていたので、今後も一緒に何かできればなと思います。出会いに感謝。

ところで、発表の前に空手ブースで来た小学生に空手を教えていたのですが、大人気!
会場の小学生を全部持って行ってしまう勢いでした。
すごいな。完全に手に余りました。
ほんとに空手大好き。

せっかくこんなに興味をもたれてるのだから、もっと多くの日本人や、中国人や韓国人(なぜなら空手の中にカンフーとテコンドウも混ざってるから)がアフリカと空手とかかわってもいいのではと思う。これについてはまた書きたい。


写真は、自分で全然撮れなかったので、誰かにもらってからアップするかも。
あと演武の様子がベナンテレビに映ったらしい。テレビがないので見られない。残念。

それにしても毎度思うけど、こんなFeta(お祭り)を開いてしまう先輩隊員のエネルギーには感服です。いつか自分もできる日が来るのだろうか。


お疲れ様でした。

自己紹介

自分の写真
2011年6月より西アフリカのベナン在住。青年海外協力隊村落開発普及員としてベナンの学校保健に関わる仕事をしています。首都ポルトノボ(porto-novo)にある、ウエメ・プラトー県教育事務局(DDEMP)配属。千葉県出身。