2011年10月30日日曜日

KARATEDOU AU BENIN!

国際交流基金のプログラムにより、日本から空手の先生がやってきました。ベナンに!!!
ちょっくら野次馬に行ってきました。

ベナンの空手道連盟(松濤館流)の会長が手を挙げて実施されたこの企画。
ここはほんとにベナンか!と、夢の中か!と何度も突っ込んでしまうような様子でした。

予定時間から、30分は遅れるのが当たり前のこの国で、9時からなのに8時に集合するベナン人。
大人から子供まで。






床のマットは空手公式戦用。かなり高価なものです。
挨拶は、OSSU!!!!
DOUZYOUKUN!(道場訓)

こんな日本から飛行機で20時間ほど離れたこの地で、空手が大好きです、と目をキラキラさせたアフリカ人が100人以上集まり、一緒に練習するって。
鳥肌ものです。

コトヌー、ポルトノボ、パラクー、ナチティングーなど、ベナン中の都市はもとより、コートジボワールや、ナイジェリア、ニジェールからもやってきていました。

ちなみにいらっしゃった日本の先生は、国体で活躍されていた土屋選手や、千葉県の大竹先生など、日本でも著名な方々で、思わずキャーです。
先生方による演武。




さて練習メニューは、基本、型、組手です。
級・段ごとに3っつのグループに分かれて練習。以下練習風景です。先生の解説を熱心に聴く。






誰が一番大変そうって、通訳さんの訳しずらそうなこと!(上の写真でシャツを着ている人)
通訳さんは、たけしの日本語学校で日本語を学んでいる、もちろんベナン人。
受け身とか半身とか、もはや日本人でも何のことやらさっぱりの空手用語を必死で訳そうと頑張ってくれました。
でも、通訳さんの努力そっちのけで、みんな先生たちの身振り手振り、日本語の切れ端を聞き取って理解しようとしていた。
(お前も訳せ!と言われたので、私も必死。)


ベナン空手道連盟の会長は、幼少の時に、今回みたいに日本の先生が教えに来てくれたことがあり、ぜひ招待したい、という思いをずっと持っていたそう。たまたま、フランスからベナンへ飛行機に乗った時、隣に座っていたのが、日本大使館の人で、、、という偶然から今回の企画がスタートしたらしい。
この2日間の練習で、空手がうまくなるとは思わないけど、日本人の先生に空手を教わったという記憶、先生の迫力が、残ればいいとおっしゃっていました。

そういえば練習でへばってたら、ベナン人に、C’est son metier?!(あんたの職業でしょ!)って言われた。
ノンノン!アジア人がみんな空手できると思ったら大間違いだよ!って言ったけど、たぶん信じてなかったなー。カンフー、ジャッキーチェーンのイメージが、ここアフリカでも強力です。

午後の練習までひと眠り。



いつだって子供は元気!



あこがれの先生と写真を撮る。






がしかし日本から持ってきた靴を紛失、、ちーん、

2011年10月29日土曜日

水上集落

先週、Porto-Novo から車で15分ほどのDangbo(ダンボ)へ行ってきました。

ダンボの近くに、雨季の季節だけ家が水につかる、水上集落があります。
水深はあまり深くないものの、町の交通手段は船です。ということで、舟に乗り込みました。




水上集落になった町は、地球の果てのような、のどかで、広がりがあり、きれいで現実感がない。暑かったけど。

こんなところです。





舟はピローグと言います。
こちらは船漕ぎの少年(16歳)




舟同士がすれ違う時は挨拶をします。
ヨボ(白人のこと、こちらは黄色人種も白人)が観光しているのが珍しい様子。

  ミカーボ(ようこそBonne arrivee, Bienvene!)
といわれたら
  オー(低めの声)
と返事します。



こちらは、通りすがりに家に招待してくれたアレクサンドル(黒いTシャツ)。とその家族(母と兄弟)。
しっかりしているので、最初お父さんかと思ったら、18歳だった。お父さんは亡くなったそうだ。
家の中は、外見よりも広くて、6畳くらいかな。中にはヤイボニ(大統領)のポスターと、椅子、勉強するための黒板、食器を入れる棚があった。
自分の携帯電話の番号を天井に書いてた。聞かれたらそこを見て答えるって。
家は農家です。ダンボ周辺は農家が多くてたくましい人が多い。




この子は、アレクサンドルの甥。
寝てるのをつっついたら、手をパッて広げたので、夢の中で泳いでるのかなってみんなで笑った。家族いいですね。




ちなみに船漕ぎの少年と同じ学校に通ってるそう。
2人の学校はこちら。学校ももちろん水の中です。




町では牛も飼っている家があります。
草を積んで高くして、柵で囲って小屋にしている。


魚はいたるところで取れます。玄関を出るとそこは漁場。
子供たちが、網を持って今日のごはんをとってきます。




豚は放し飼い…
自由だなぁ。




町自体は草原に囲まれています。
三途の川ってもしかしてこんなところかもと思ってしまう。





こちらはダンボに戻ってから、水上集落を見下ろした1枚。
こちらが山というよりは、水上集落のあたりが河に削られてへこんでるイメージです。

2011年10月21日金曜日

ポルトノボ特集1

この前、別の隊員から、ポルトノボの写真を見せてもらったとき、なんてことはない写真なのに、この人ポルトノボ好きだったんだろうなーと何か思いが伝わってきました。
いつか私もあんな写真撮りたいな。まだまだ修行中です。気持ち的にも技術的にも。

ポルトノボ特集、と題してみたものの、ほとんど私の通勤経路の写真です。
まだまだ行ってないところたくさん!撮れてないところもたくさん!
そしてベナンの人をもっと撮りたいです。

右手に見えますのが、ベナンの立法機関、国民議会「Assemblee nationale」です。
日本でいえば衆議院みたいなもの。でも上院や大統領府はCotonouという別の都市にあります。その間1時間。
職務に支障はないのだろうか。



こちらはパレスバイヨール(綴りがわからん)公園になっていて、よくベナン人がくつろいでます。




こちらはノートルダム寺院です。
隣に、ノートルダム学校という私立の学校があり、幼稚園から高校生まで受け入れています。
職場の人は、この学校出身だったり、子供を通わせてたりする人が多い。きっとエリート校なんだろうな。



ポルトノボの正面にそびえたつこの建物は、弁護士協会の建物だったかな。
いつかここの最上階に上って、街を見渡すのが私の夢です。





こちらは、ポイ捨て、たちしょん(失礼)の禁止を呼び掛けた看板。




毎日歩いてる道。



洗濯もの。



給水塔。ユーホーみたい。



今のところ片道2キロ、1日2往復しています(昼休みに一度家に帰るため)。
自転車が買えるので、買おうと思いつつ、
暑くなければ歩くのは楽しいんだけど、とぶつぶつ言いつつ。
焦げる前に早く買わなきゃ。


お疲れ様でした。




おまけ
下記は、今は絶版中の Guide Petit Futé(ベナンの観光ガイド)から一部抜粋。
自分の勉強用に。

そういえば日本は今、秋!
秋の夜長なんて、ベナンからは懐かしい限りです。

『L´Ouémé et le Plateau』
ウエメ・プラトー

Le paysage de la région est caractrérisé par la basse vallée que forme le delta du fleuve Ouémé. La terre étant très fertile et les langunes poissonneuses, l´agriculture et la pêche s´y sont bien développées.
Les Gun, qui sont issus d´un mélange entre Adja, venus d´Allada, et Yoruba, originaires du Nigeria, constituent la principale population de cette région du Sud-Est et plus particullièrement de Porto-Novo.
この地域の地形は、ウエメ河の三角州である低い谷に特徴づけられる。土地はとても肥沃で、ラグーン(潟湖)には多くの魚がおり、したがって農業と漁業はよく発展している。グン族は、アラダから来たアジャ族と、ナイジェリアに由来するヨルバ族の混血だが、彼らがこの南東地域のほとんどの人口を占めている。特にポルトノボにおいては顕著である。

Le culte orisha, le vaudou des Yoruba, y est très vivace car, en dépit de la percée du christianisme et surtout de l´islam, la population est restée profondément animiste. L´influence adja reste toutefois la plus forte, notamment dans la langue, le gunbe étant proche de la langue fon.
ヨルバ族のブードゥー教であるオリーシャ教は、この地域でとても活発である。というのは、カトリックやとりわけイスラム教が広く浸透したにもかかわらず、住民は依然熱心なアニミズム信奉者のままだからである。しかしながら、アジャ族の影響が最も強く、とりわけ言語では、フォン語に近しいグン語が広く使われている。

Siège de l´administration coloniale française dès 1894, Porto-Novo est restée la capitale administrative du Bénin. Une capitale symbolique toutefois car elle a pour seul attribut le pouvoir législatif. Ce ne sont pas les quelques directions de ministeres qui peuvent faire illusion. Porto-Novo est la deuxième ville du pays, avec ses 190 000 habitants, une ville provinciale et pleine de charme au demeurant, qui peut se prévaloir d´un patirimoine architectural et de musées sans équivalent dans le pays. La lagune est l´un des autres attraits de Porto-Novo, touristique vers l´ouest et économique vers l´est. C´est en effet par la lagune qui borde la et débouche au Nigeria que transitent les marchandises en contrebande.
1894年、フランス植民地部隊の本部があったポルトノボは、今もベナンの行政首都である。経済首都はコトヌーなので、形のみの首都であるが、唯一立法機関のみポルトノボに位置している。これは、なにも人を欺こうという政府の方針ではない。ポルトノボは国で2番目に大きい地方都市で、住民は19万人である。見どころはたくさんあるが、とりわけ自慢できるのは、建築遺産と、国内で類のない博物館だろう。また商業の中心地である東に対し、ポルトノボの西に位置するラグーンも、観光名所として一つの魅力を加えている。実際に、ラグーンは「紅の都」に沿って続き、密輸入商人がナイジェリアへ通過する出口でもある。

どう?来たくなった?
おこしやす!

2011年10月20日木曜日

今週月曜から、M.Houenou(ムッシュー、フエノー/職場での相棒)が出勤してきました。いつもボンバー(ベナンの現地服)だったのに、スーツを着て、日本で買った丸いメガネをしてるので、日本人が帰ってきた、とまわりのChef(課長)達からからかわれています。
本人も、気付けば日本で撮った写真を見たり、見せてくれたり、今週はずっとそんな感じ。小学生にかなりなつかれたみたいで、日本の小学生はかわいいねと言っておりました。日本の小学生も、2メートルくらいのアフリカ人が、ボンバ着てにこにこ笑ってたら気になるに違いない。

 にしても、日本での研修が決まったのが、私が到着したころなので7月、そこから英語を勉強し、英語でレポートを書いているので大したもんだ。私もフランス語にぶつぶつ文句を言ってる場合じゃありません。
 
 今までM.Houenouの部屋に滞在(?)してた私も、彼の帰国に合わせて、別の部屋を用意してもらいました。
当初の予定は、離れ、というか別館みたいなちょっと遠くにある部屋だったのですが、結局Directeur(局長ですね)の部屋の横に1部屋用意してもらえました。というか、秘書課の秘書さんを押しのけてしまいました。

 私の前に働いてた日本人やJICAのスタッフ、日本での研修に参加したベナン人の様子が、日本のイメージをアップしていることは間違いなく、この私の仕事部屋の件も、局からの感謝の気持ちや、ボランティアの受け入れを大切に考えてる感じが伝わってきます。
しかし、それを受け取っているのが私だということにとても恐縮。

 みんな通るたびに「最初の部屋は遠いから、Directeurの部屋の横にしたんだよ、C’est bon non?(セボン、ノン?/いい部屋でしょ。)」と得意げに言ってくれます。
「うんうん、C’est tres bien!(トレビアン!)」と答ます。
あと今の場所は、みんながよく通る廊下にあり、ドアは開けっ放しなので、いろんな人としゃべれるようになりました。

日本に感謝感謝!いい国に生まれたな!へへ。

そしてなによりDirecteurに感謝。
やさしい感じの人です。

恩をあだで返すことがないよう、頑張らなきゃ。


写真は、仕事部屋のドア。
訳は、SPS(就学促進課)で学校保健向上のために働いている日本人ボランティアの部屋。みたいな感じかな。

2011年10月12日水曜日

一日一日

先日、私のカウンターパート(仕事上の相棒)が、日本での研修を終えて無事帰ってきました。
今朝電話をくれて、今は家で少しお休み中だそう。仕事復帰は、来週からかな。

日本の知り合いいわく、俺はベナンの教育省を変えてやる!くらい意気込んでいて、かなり研修に感化されていた様子。
頼りがいがある感じですが、フランス語も拙い今の私はちょっとびびってます。

お手柔らかに、お願いします、M.HOUENOU!

写真は出発前、職場にて。いい笑顔してますね~。



というわけで、まだまだ始動できてないのです。
仕事に進展あればまた報告します!
今は職場に出すレポート書き中en francaise!
こちらは職場です。




おまけ
今のところベナン人の印象。

ほんとに人それぞれだから、一口に言ったら少し違うのかもしれないけど。

珍しいもの好き、面白い物好き、新しい物好き、
声がでかい、飽きっぽい、他人に責められることがすごく嫌い
語学に自信を持っている、ので英語を話したがる、
しゃべるのが好き、踊るのが好き、
なんか言い方が雑ですが、日本でいえば中学生にちょっと似てる。

そして最近気づいたんだけど、たたかれるの好きな人がいますね(これは男の人だけど)。

なかなかまけてくれない時、たまに、Monsieur(ムッシュー)と言いながら肩をたたくと、
あごをちょっと出して、ちぇっいいよ、ほら、みたいにしてくれます。にやり。


あと今日、毎日会うベナン人の若者に、

C'est ma cherie.(こいつおれの彼女だよ) 
と、彼女を紹介されたんだけど、
彼女が照れて彼の背中をひっぱたいてましたね。やーこっちが照れた。



こちらは近所の肉屋さん、焼いた鶏肉とムトン(でも山羊)を売っています。



1つ500CFA~1000CFA(100円~200円)。

一緒にBaguette(フランスパン)も売っているので一緒に買い、
(1つ125CFAなので約25円、バターの入ってないパンは結構安く買えます)、

ビールを買うと、
(銘柄によるけどだいたい1缶500CFA、約100円、これは日本と同じくらい)

今日の夕飯!にやり、たまには自炊もお休みです。


おじさんのフォークに刺さってるのが鶏肉、奥の茶紙にくるまっているのがムトンです。


こちらは噂の山羊、目があった。



近づくともう一匹。じゅるり。

2011年10月4日火曜日

ダニか蚊か。それが問題か。

今日はちょっと気持ちのいい話ではないです。
ご容赦ください。

ちょっと汚い画像ですが、私の足。
最近見るたびに刺された跡が増えていき、そしてかゆい。



可能性としては2つ。


一つ目は蚊、
現在ベナン南部の気候は雨季ですが、
一日に1回小一時間、大雨が降るか降らないかで、
出先で降っても、やむのを待てばすぐ晴れます。
(ただ降った雨が、太陽の熱で蒸発するとき、地上はサウナになります。要注意。)

夜はたまに寝苦しいけど、今のところはそこまで暑くないです。

が、しかしこの雨季の注意ポイントは蚊が多いこと。
先ほどの写真のように、足首(靴とズボンの隙間)を狙ってきます。

さて熱帯で蚊とくれば、そうそう、マラリアです。
マラリアは黄熱病のような予防接種で対策をとることができなくて、
週一回予防薬を飲んだり、



蚊帳で毎日寝たり、蚊取り線香をたいたり、



野外でお酒を夕方飲まないようにしたり




地道な努力が必要です。
(ちなみに写真のビールはベニノワーズです。アフリカ大陸のうちベナンの部分だけちょっとだけ色が濃くなっているのがポイント)

蚊帳の中で蚊を発見したのが、3日前。ばっちり刺されてたけど、どうにかしとめました。

でもその後も、刺された跡が増えてる気が…。
この湿気(部屋は風が通りにくい)、このかゆみ(蚊よりかゆい気がする)、
もしかしてダニか!

シーツは2~3週間に1回洗うようにしてはいるものの、
結構重いベットのマットを干すのはしんどい。

蚊だったら対策はまだあるけど、
ダニだったらどうしたものか。掃除機もないし。

でもとりあえずマラリアにはなりません。

はたして、どちらがいいのやら。
とりあえず今日は、シーツを干しました。


しつこいけど後日談。昨日蚊帳の中で蚊を2匹発見し、やっぱり原因は蚊かも。

どっちでもいいか笑。
どうも痒さのせいか、こんなことばっかり考えてしまいます。

自己紹介

自分の写真
2011年6月より西アフリカのベナン在住。青年海外協力隊村落開発普及員としてベナンの学校保健に関わる仕事をしています。首都ポルトノボ(porto-novo)にある、ウエメ・プラトー県教育事務局(DDEMP)配属。千葉県出身。