2011年11月28日月曜日

mayoumi

インターネット、今は無線でつながってます。
ちなみに動画10分見るのに、2時間くらいかかります。

ネットし放題の場合、料金は月額10,000CFA(約2,000円)で、日本並。
料金の加算の仕方が面白い。
まず10,000CFA分のクレジを購入。
クレジはこんな感じ。裏の黒い部分を小銭で削ると数字が出てきます。



数字を入れると、料金が加算される仕組み。
課金するときは、無線機の中に入ってるカード(写真の黄色い小っちゃいカード)を携帯電話にいれて課金します。



でもたとえば、1枚500CFAのクレジしか買えなかったら、500×20回数字を入れなきゃいけなくて、面倒くさい。そんな極端なことは今のところないけど、地方に行けばいくほど、高額のクレジが買えなくて苦労することになる。ベナン人で、2,000CFAのクレジを買う人はお金持ちです。

ところで、通勤経路にあるクレジ屋さん。この前話してたら、名前は?と聞かれたので、Mayumi、と答えたら、冗談でしょう!と言われた。

そんなところで冗談言わないし、とちょっとムッとして
ほんとだよ、と言ったら、
私の名前もマユミだよ、と言われた。

冗談でしょう!
でもどうやら本当だった。

ちなみに私は、Mayumiで、
クレジ屋のお姉さんは、Mayoumi で、ユの綴りは違う。
アフリカにも同じ名前があるなんて、ナオミ(キャンベル)とかみたいでかっこいいっしょ。

ちなみに、クレジ屋のお姉さんは美人でもてそうでした。
Oの差は、大きいですね。。。


≪追加≫
今日クレジ屋のお姉さんにあったら、なんとファンキーな髪形に!
思わず一緒に写真撮ってもらいました。
ベナンでもまだ見たことない髪形…、やるな。

2011年11月13日日曜日

学校視察

今月は、ウエメ・プラトー県内にある視学官事務所(教育委員会みたいなところ)と小学校を見学しています。
 ウエメ・プラトーは、ウエメ県とプラトー県の2つに分かれますが、細かいことはさておき。
県内は15の視学官事務所と1300ほどの小学校があります。そこが私が働くDDEMP-OPのフィールドで広いですが、全部の視学官に行ってみようと、地道に計画中。

今回は、職人の町アジャラと、ナイジェリアとの国境に近い町イファンニに行ってきました。
私が働く就学促進課の同僚3人と、財政課の職員1人、+私、計5人のプチット旅行。

アジャラは、ポルトノボから車で20分もかからないくらい、近いところです。タムタム(太鼓)や、籐で作った椅子など、民芸品を作る職人が住む町。
そこでまず視学官に行き挨拶、そのあと近くの小学校にお邪魔しました。

小学生は元気元気。ヨボだ、カメラだ!と集まってきて、食われそう。前にも進めず。
表情豊かな子供達。






かわいい顔して、第一声は皆Donnez moi d’argent (お金頂戴) です。

日本のギブミーチョコレートに近い感覚なのかもしれないけど、外国人を見るとまずそういう子(大人も)が多い。
むしろ、もらえることあるのかな?と逆に謎。
自分たちは貧困だという意識が子供達まで伝わってるのかな、

とか考えにふける暇はなく、何か言い返さないとやられてしまいそうなほどの勢い。

負けずに、Tu dois travailler d’abord (まず働け!)
か、私もお金ほしいんだよねと、言い返してやります。


ベナンの小学校では、校内にバンドゥーズ(売り子)が食べ物を持ってきて、子供達が買うという仕組み。日本の給食のような制度はありません。
売り子達は保健センターの許可がないと校内で販売できませんが、それに加えて毎日の食品チェックを、先生と生徒で構成する保健委員がしなければいけません。

でもこの学校はそれを怠っていたようで、同僚が指導していました。

アジャラは豚肉で有名な店があるので、そこで昼食。
ビール飲んでましたね! 私は一応飲まなかったよ。

次の町まで1時間ほど、飲んだせいか、移動中の車の中踊りだした!

しかもちょっとかわいい感じの曲で、踊りもかわいくて、それを大きなおじさんがやるもんだからみんなで大笑いでした。視察というより息抜きって感じ。道もヤシが茂ってとてもきれいでした。
イファンニの視学官に挨拶した後、少し離れた小学校へ。

話を聞いてみると、同僚のお父さんが寄付してくれた土地に新しい学校を建てたそうで、今回はその視察でした。俺はここで育ったんだと感慨深そう。
手前のスーツが同僚、向かって右側の魚のボンバを着ているのが、お父さん。




新しい校舎に移る前の学校。



新しい校舎。




場所が違うと、子供たちの様子も全然違う。



校庭。どこの学校もサッカーゴールがある。





とても美しいところでした。




学校を見に行ったことで分かったことも多かったけど、逆に自分に何が出来るだろうと悩みます。
それから、視学官のシェフへ用意した質問をしたものの、答えが理解できなかったという残念な結果。
焦ってもしょうがないので、しばらくは学校見学を続けて、少しずつ分かるしかない。

2011年11月11日金曜日

A parakou(パラクー)

パラクーでのイベント Festival International de la Femme Artisute(FIFA)-(女性による国際文化祭)に参加してきました。

ちなみにパラクーはこちら。バスで8時間ほど。



電車運行されていない(線路はあるけど)ベナンでは、都市間の移動は、バスかタクシーです。朝7時にポルトノボを出発しました。
パラクーは遠いので、今回はバスを使用。


こちらはベナンで唯一のサービスエリア的存在の、ボイコンです。南から北へ移動する場合必ずここを通ります。
が、しかしトイレはありません。最近できたという噂もあるけど、見つからず。怖いので朝から飲まず食わず。



パラクーでのイベントは、CCF(フランス文化センター)というところで行われました。
こちらはポスター。




私が行った日は、la Soiree Japonaise(日本の夜)ということで、ベナンにいる女性隊員が15人近く集まり一夜を盛り上げました。

演目は
 日本舞踊/空手/ファッションショー/カラオケ(魔女の宅急便と美空ひばり)/よさこい
です。
さすがと思う、どの演目も工夫されていて、盛りだくさん、しかもかわいいし。

リハの様子。



本番、よさこい。



私はいつものごとく空手をやりました。
今回は野望があり、この前コトヌーであった空手のイベントで出会った、パラクー在住の空手選手(女性)と一緒に演武したいなと思っていました。
既にナンパ済み、一緒に演武も了承ずみ。
では、松濤館流の観空小をやろうという話になっていました。

今日の昼、一度会って、ここで夜やるよ!と話したのですが、、
本番前に、ちょっと忙しくなったから行けなくなったというメール。
残念。

演武は一人でやりました。
忙しいって言ってたけど、私のフランス語の説明も拙かったし、会場見てみて、観客の前でやるのがいやだなと思ったかもしれない。

とりあえず今月末、別のイベントで空手をやる予定なので、またチャレンジしてみます。



ところで、南に比べて北はイスラム教徒が多いらしい。
おりしもタバスキ(犠牲祭)の前日。
街にはいたるところに山羊がいました。
明日までの命とつゆ知らず。
さばいて、アッラーにささげた後、みんなで食べます。

車に積まれて、いろんな町へ(写真トラックの、コンテナの上に注目)。



いっぱいいます。



子供は、来年用かな笑?
山羊が一般的だけど、鳥とかでもいいらしい。一匹まるまるいただくというのが重要だそう。

2011年11月7日月曜日

○○○

今日、ベナンの北にあるParakou(パラクー)という都市から帰ってきました。

いろいろ中身はまた次回。

家についてやれやれ~、とパソコンを開いたら、家族や友達からメールが来てた。
疲れて涙腺も緩んだからか、涙をぼたぼたこぼしながら読んでしまいました。初一人暮らし、inアフリカで、ホームシックになりまくっていますが、今までどんだけ周りの人に甘えて生きてきたのか実感します。今も甘えてるけど。


さてさてベナンでは、車はTOYOTAやHONDA、バイクはKAWASAKIやSUZUKIをよく見かけます。

あ、SUZUKIと思ったら、、、、




SUKIDA!
わはは!
ほんとにDAISUKIDA!

2011年10月30日日曜日

KARATEDOU AU BENIN!

国際交流基金のプログラムにより、日本から空手の先生がやってきました。ベナンに!!!
ちょっくら野次馬に行ってきました。

ベナンの空手道連盟(松濤館流)の会長が手を挙げて実施されたこの企画。
ここはほんとにベナンか!と、夢の中か!と何度も突っ込んでしまうような様子でした。

予定時間から、30分は遅れるのが当たり前のこの国で、9時からなのに8時に集合するベナン人。
大人から子供まで。






床のマットは空手公式戦用。かなり高価なものです。
挨拶は、OSSU!!!!
DOUZYOUKUN!(道場訓)

こんな日本から飛行機で20時間ほど離れたこの地で、空手が大好きです、と目をキラキラさせたアフリカ人が100人以上集まり、一緒に練習するって。
鳥肌ものです。

コトヌー、ポルトノボ、パラクー、ナチティングーなど、ベナン中の都市はもとより、コートジボワールや、ナイジェリア、ニジェールからもやってきていました。

ちなみにいらっしゃった日本の先生は、国体で活躍されていた土屋選手や、千葉県の大竹先生など、日本でも著名な方々で、思わずキャーです。
先生方による演武。




さて練習メニューは、基本、型、組手です。
級・段ごとに3っつのグループに分かれて練習。以下練習風景です。先生の解説を熱心に聴く。






誰が一番大変そうって、通訳さんの訳しずらそうなこと!(上の写真でシャツを着ている人)
通訳さんは、たけしの日本語学校で日本語を学んでいる、もちろんベナン人。
受け身とか半身とか、もはや日本人でも何のことやらさっぱりの空手用語を必死で訳そうと頑張ってくれました。
でも、通訳さんの努力そっちのけで、みんな先生たちの身振り手振り、日本語の切れ端を聞き取って理解しようとしていた。
(お前も訳せ!と言われたので、私も必死。)


ベナン空手道連盟の会長は、幼少の時に、今回みたいに日本の先生が教えに来てくれたことがあり、ぜひ招待したい、という思いをずっと持っていたそう。たまたま、フランスからベナンへ飛行機に乗った時、隣に座っていたのが、日本大使館の人で、、、という偶然から今回の企画がスタートしたらしい。
この2日間の練習で、空手がうまくなるとは思わないけど、日本人の先生に空手を教わったという記憶、先生の迫力が、残ればいいとおっしゃっていました。

そういえば練習でへばってたら、ベナン人に、C’est son metier?!(あんたの職業でしょ!)って言われた。
ノンノン!アジア人がみんな空手できると思ったら大間違いだよ!って言ったけど、たぶん信じてなかったなー。カンフー、ジャッキーチェーンのイメージが、ここアフリカでも強力です。

午後の練習までひと眠り。



いつだって子供は元気!



あこがれの先生と写真を撮る。






がしかし日本から持ってきた靴を紛失、、ちーん、

2011年10月29日土曜日

水上集落

先週、Porto-Novo から車で15分ほどのDangbo(ダンボ)へ行ってきました。

ダンボの近くに、雨季の季節だけ家が水につかる、水上集落があります。
水深はあまり深くないものの、町の交通手段は船です。ということで、舟に乗り込みました。




水上集落になった町は、地球の果てのような、のどかで、広がりがあり、きれいで現実感がない。暑かったけど。

こんなところです。





舟はピローグと言います。
こちらは船漕ぎの少年(16歳)




舟同士がすれ違う時は挨拶をします。
ヨボ(白人のこと、こちらは黄色人種も白人)が観光しているのが珍しい様子。

  ミカーボ(ようこそBonne arrivee, Bienvene!)
といわれたら
  オー(低めの声)
と返事します。



こちらは、通りすがりに家に招待してくれたアレクサンドル(黒いTシャツ)。とその家族(母と兄弟)。
しっかりしているので、最初お父さんかと思ったら、18歳だった。お父さんは亡くなったそうだ。
家の中は、外見よりも広くて、6畳くらいかな。中にはヤイボニ(大統領)のポスターと、椅子、勉強するための黒板、食器を入れる棚があった。
自分の携帯電話の番号を天井に書いてた。聞かれたらそこを見て答えるって。
家は農家です。ダンボ周辺は農家が多くてたくましい人が多い。




この子は、アレクサンドルの甥。
寝てるのをつっついたら、手をパッて広げたので、夢の中で泳いでるのかなってみんなで笑った。家族いいですね。




ちなみに船漕ぎの少年と同じ学校に通ってるそう。
2人の学校はこちら。学校ももちろん水の中です。




町では牛も飼っている家があります。
草を積んで高くして、柵で囲って小屋にしている。


魚はいたるところで取れます。玄関を出るとそこは漁場。
子供たちが、網を持って今日のごはんをとってきます。




豚は放し飼い…
自由だなぁ。




町自体は草原に囲まれています。
三途の川ってもしかしてこんなところかもと思ってしまう。





こちらはダンボに戻ってから、水上集落を見下ろした1枚。
こちらが山というよりは、水上集落のあたりが河に削られてへこんでるイメージです。

2011年10月21日金曜日

ポルトノボ特集1

この前、別の隊員から、ポルトノボの写真を見せてもらったとき、なんてことはない写真なのに、この人ポルトノボ好きだったんだろうなーと何か思いが伝わってきました。
いつか私もあんな写真撮りたいな。まだまだ修行中です。気持ち的にも技術的にも。

ポルトノボ特集、と題してみたものの、ほとんど私の通勤経路の写真です。
まだまだ行ってないところたくさん!撮れてないところもたくさん!
そしてベナンの人をもっと撮りたいです。

右手に見えますのが、ベナンの立法機関、国民議会「Assemblee nationale」です。
日本でいえば衆議院みたいなもの。でも上院や大統領府はCotonouという別の都市にあります。その間1時間。
職務に支障はないのだろうか。



こちらはパレスバイヨール(綴りがわからん)公園になっていて、よくベナン人がくつろいでます。




こちらはノートルダム寺院です。
隣に、ノートルダム学校という私立の学校があり、幼稚園から高校生まで受け入れています。
職場の人は、この学校出身だったり、子供を通わせてたりする人が多い。きっとエリート校なんだろうな。



ポルトノボの正面にそびえたつこの建物は、弁護士協会の建物だったかな。
いつかここの最上階に上って、街を見渡すのが私の夢です。





こちらは、ポイ捨て、たちしょん(失礼)の禁止を呼び掛けた看板。




毎日歩いてる道。



洗濯もの。



給水塔。ユーホーみたい。



今のところ片道2キロ、1日2往復しています(昼休みに一度家に帰るため)。
自転車が買えるので、買おうと思いつつ、
暑くなければ歩くのは楽しいんだけど、とぶつぶつ言いつつ。
焦げる前に早く買わなきゃ。


お疲れ様でした。




おまけ
下記は、今は絶版中の Guide Petit Futé(ベナンの観光ガイド)から一部抜粋。
自分の勉強用に。

そういえば日本は今、秋!
秋の夜長なんて、ベナンからは懐かしい限りです。

『L´Ouémé et le Plateau』
ウエメ・プラトー

Le paysage de la région est caractrérisé par la basse vallée que forme le delta du fleuve Ouémé. La terre étant très fertile et les langunes poissonneuses, l´agriculture et la pêche s´y sont bien développées.
Les Gun, qui sont issus d´un mélange entre Adja, venus d´Allada, et Yoruba, originaires du Nigeria, constituent la principale population de cette région du Sud-Est et plus particullièrement de Porto-Novo.
この地域の地形は、ウエメ河の三角州である低い谷に特徴づけられる。土地はとても肥沃で、ラグーン(潟湖)には多くの魚がおり、したがって農業と漁業はよく発展している。グン族は、アラダから来たアジャ族と、ナイジェリアに由来するヨルバ族の混血だが、彼らがこの南東地域のほとんどの人口を占めている。特にポルトノボにおいては顕著である。

Le culte orisha, le vaudou des Yoruba, y est très vivace car, en dépit de la percée du christianisme et surtout de l´islam, la population est restée profondément animiste. L´influence adja reste toutefois la plus forte, notamment dans la langue, le gunbe étant proche de la langue fon.
ヨルバ族のブードゥー教であるオリーシャ教は、この地域でとても活発である。というのは、カトリックやとりわけイスラム教が広く浸透したにもかかわらず、住民は依然熱心なアニミズム信奉者のままだからである。しかしながら、アジャ族の影響が最も強く、とりわけ言語では、フォン語に近しいグン語が広く使われている。

Siège de l´administration coloniale française dès 1894, Porto-Novo est restée la capitale administrative du Bénin. Une capitale symbolique toutefois car elle a pour seul attribut le pouvoir législatif. Ce ne sont pas les quelques directions de ministeres qui peuvent faire illusion. Porto-Novo est la deuxième ville du pays, avec ses 190 000 habitants, une ville provinciale et pleine de charme au demeurant, qui peut se prévaloir d´un patirimoine architectural et de musées sans équivalent dans le pays. La lagune est l´un des autres attraits de Porto-Novo, touristique vers l´ouest et économique vers l´est. C´est en effet par la lagune qui borde la et débouche au Nigeria que transitent les marchandises en contrebande.
1894年、フランス植民地部隊の本部があったポルトノボは、今もベナンの行政首都である。経済首都はコトヌーなので、形のみの首都であるが、唯一立法機関のみポルトノボに位置している。これは、なにも人を欺こうという政府の方針ではない。ポルトノボは国で2番目に大きい地方都市で、住民は19万人である。見どころはたくさんあるが、とりわけ自慢できるのは、建築遺産と、国内で類のない博物館だろう。また商業の中心地である東に対し、ポルトノボの西に位置するラグーンも、観光名所として一つの魅力を加えている。実際に、ラグーンは「紅の都」に沿って続き、密輸入商人がナイジェリアへ通過する出口でもある。

どう?来たくなった?
おこしやす!

自己紹介

自分の写真
2011年6月より西アフリカのベナン在住。青年海外協力隊村落開発普及員としてベナンの学校保健に関わる仕事をしています。首都ポルトノボ(porto-novo)にある、ウエメ・プラトー県教育事務局(DDEMP)配属。千葉県出身。